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3月14日

 巨大な地震と津波、飲み込んでいく映画は、とても現実とは思えない。

でも、思わなくてはいけない現実には、心が痛みます。

安全な場所などないことを、人類全体で認識すべき時が来た。

自然・海・私達が思っているよりずっと力強く、強く来て、

強く引く力が小さな命や大きな命、沢山の命まで奪ってしまう。

そして、残された家族の辛い日々。

毎日泣いて生きてる人々。辛いよ・・・

  日本人より素晴らしい国民はいない。

大好きな国であり、素敵な文化と素敵な人々がいる。

世界の人々に貢献してきた国民である。

良いことばかりしてきた人々、幸せになるはずの人々が、

自然の力に負けて、このようにこんなに悲しいことはない。

ティッシュボックスも何箱も使ってしまった。涙が止まらない・・・

  素敵な可愛い私の娘・・・stephanie

  とても心優しい私の主人・・・charles

これからの幸せをたくさん持ってるのに・・・

波に飲まれて、もう二度とkissもhuguも出来なくなってしまった。

ひどい波ですよね・・・

神様お願いだから。

もうこれ以上、1人も亡くならないように・・・

見守ってください・・・

希望と夢を持って。

新しい生命がたくさん出来るように。

国民ひとりひとり考える時が来た。

お祈りと、たくさんのLOVEと愛を、日本の人々に送ります。

3月12日 人々の命・・・

  日本の、巨大地震と津波で、一瞬の出来事で、何百人も亡くなってしまいました。

主人も娘も海で亡くなりました。

海は、とても恐ろしい場所です。毎日涙が止まりません。

今回、日本の津波も心が痛みます。

亡くなわれた方々、残されたご家族の気持ち、言葉では表すことが出来ません。

2倍の涙が流れてきます。

人の命って、こんなに一瞬でなくなってしますこと、この世にこんなに悲しいことはない。

自然の恐ろしさ、人の命をこんなに簡単に奪われることに、あまりにも悲しすぎます。

ねね・・・

お願いだから、

もっと生きたかったのよ・・

もっともっと楽しいことがたくさん待ってる。

私の涙が止まらない・・・止まらない・・・

3月9日 パパの仕事の片付け。

  人生の半分くらい、パパと会って、生活を共にしてきました。

パパも身を張ることもありました。

兄弟もatsukoさんもrumi-chanもパパが持ってると思い込んでいました。

可愛そうなパパでした。

ビジネスも全てのものがパパが買って、テキサスに入れていましたが、

パパはママに言った。「テキサスの兄が弟のパパに色々言われたくなかった。一緒にビジネスもとても難しかった。借金を抱えて、40個のスターチェンも買って、本人がハワイに居る。」

売ってしまった利益もパパには無し。パパは人が良すぎます。

今、兄弟達が新しい家を建てています。今の世の中、自分さえ良ければという人が多いですよね。

今まで、ママしかパパを助けることをしてきませんでした。

大学生の子、二人を抱えて、本当に大変だったけど、今ならママにはパパを助けることが出来たのに。

時期も時期ですよね。

  パパのyokohawaiiのお客様。ママがパパを安心させるために、精一杯のことをしてきます。

とてもとても大変なこと。分からないこともありますが、お客様に良いハワイの旅をして欲しいため、出来るだけのことしていきます。

パパのことは誰にも助けることはできない。ママは最後の最後まで、大好きなパパのために頑張っていきます。

天国でゆっくり休んでください。

今は大変だけど、ずっと続けることではないので・・・

たくさんの幸せをくれたパパ。ありがとう!

ママはお花屋さんになりたい。

たくさんのお花を頂き。

水を与え。

お花を切りながら。

美しい花・・・

可愛いステファニーを思い出す。

泣きながら。

お花屋さんになりたい。

キレイな花。

毎日、パパとstephanieのために、美しく生きてる・・・

若過ぎたよ・・・二人・・・

3月9日 charlesが大好きだった。

  ママは、パパが大好きだった。

長い人生の中、いろんな人と出会いました。

人を好きになることに、時間がかかるママ。

パンフィクドに近いママの理想の人でした。

二人だけの人生なら、パパととても楽しく過ごせたに違いない。

難しい年頃の子供達。

ビジネスも上手くいかないこの時。

ママは、子供達を守ることに決めた。

心配していたパパのビジネス。

何も手助けをしないママ。

一生懸命、子供達を守っていた。

今年ならパパの仕事を少し手伝える。

パパはいい人なのよ。

身を張るパパは、疲れたに違いない。

ママにしかわからないこと。

どうしてこれから少しくらいになる時、あなたは居なくなったの?

yokoが悔しい・・・

あなたしか愛せないママ・・・

心の底から愛してたあなた・・・

好きな人がいたら・・・別れてもいいよ・・・

あなたが好きだから。

幸せになってほしい・・・

私はあなたとの子と一緒にいることは幸せ。

「パパは、どんなに美しい女性がいてもyokoには勝てない。」

「パパの人生は、ママだけが必要。」

離れても大好きだったパパ・・・

二人の愛は、誰にも負けなかった。

早過ぎたこの事故・・・

あと20年。30年も一緒に居たかったよ・・・

パパ・・・

私は涙が止まらないよ・・・

私しかあなたの気持ちがわからない・・・

あなたは素晴らしい人。

長い月日をかけて選んだ人。

私にたくさんの幸せをくれた人。

ありがとう!ありがとう!

stephanieとゆっくりしてね!

                        Love  yoko

3月7日

  30年前、初めてハワイに一緒に行った、Bestfriendのmitsuyo-chanのご家族が帰りました。

二人で、泣きながら抱き合いました。

一生の友として、yokoの事をとても心配してくれています。

強く生きることが、パパやstephanieも望んでいると。

mitsuyo-chanのお母さんも元気そうで、お会い出来てとても嬉しかったです。

パパやstephanieにも会わせたかったですが、残念です。

この世に、こんなに悲しいことはありません。

大好きなstephanieは、誰の代わりにもならない、一番大好き・・・

今日、Beninの誕生日でした。sueがケーキを用意してくれて、stephanieのプレゼントもBeninに渡しました。

本当にあなたがそばにいてほしい。

3月6日 mitsuyoちゃんが来た

  stephanieが大好きなGretaと朝早く散歩していたら、Aichanに会いました。

Aichanもstephanieのことが大好きだったので、とても悲しがっていました。

そして、二人で散歩をして、たくさんお話ししました。

 ハワイにはじめて来て、大学で一番仲良しだったmitsuyo-chanのご家族と一緒にビーチへ行きました。

初めてパパと会ったときも、彼女が一緒でした。とても懐かしいです。

パパとstephanieに会えなくて、とてもとても悲しいです。

どうしてこんな、たくさんのいい人達が悲しい思いをしてしまうのかわからない。

もっともっと、楽しんでくれるはずだったのに・・・

  毎日毎日、楽しく過ごすはずだったのに。

今は、毎日毎日、悲しくて悲しくて涙が止まらない。

stephanieのことは私の人生の中に消えることなく続けられることでしょう。

3月3日

   stephanieの学校は、stephanieのためにkoaの木を植えてくれて、そのまわりにキレイなお花も木と共に大きくなってくれる。

そう思って、sueさんと一緒にたくさん買って来てくれました。

学校側もとても協力的で、植えてくれる人も来て、きっとstephanieも喜んでいます。

休みの時間になって、stephanie’smamと言って、みんながhuguをしてくれました。

涙を流しながら、huguをしていました。

どうして、うちのstephanieがいないの?悲しさと寂しさでいっぱいです。

mayumi-chanが今日カレーを作ってくれて、ご馳走になりました。パパとstephanieの話しばかりして、一人ママが歩いているワイキキの街は寂し過ぎます。

あなたが欲しい。

あなたが欲しい。

stephanie-chanはあなたが大好きだよ。

3月1日

  私は、久子という素晴らしい母の6人兄妹の一番末っ子でした。

  母は、全くの日本人でしたが、戦争の時、中国で、かなり苦労したそうです。

祖国の日本という国に帰りたようでしたが、癌になってしまいました。

余命も後、半年しかないと言われ、中国の周恩来に生命をかけて、心を打つような手紙で、

日本という自分の祖国で死にたい。という強い希望がありました。

例のない賃もつ船で、日本へ3日もかけてつきました。

母は、子供の夢と希望を与え、日本という自由の国で、日本で生きていくことを、

何よりも嬉しかったそうです。

そして、自分の母や兄妹に会えたことも、嬉し涙も、今にも子供の私の残っています。

一日も長く生きて欲しかった母。

言葉少ない母でしたが、優しくて、いつも笑顔であいさつをしてくれました。

誰にでも愛されて、子供達が大好きな母は、49歳で、この世を去っていきました。

愛する母のために、子供達で一生懸命生きてきました。

 今日という日は、Charlieが日本へ発つ日でした。

日本で仕事をする決心し、これからは、Charlieが大好きな国。日本で少しでも人の役に立てれば嬉しいです。

日本から、yoshidaさんとmayumi-chanが来てくれて、パパとstephanieのことで、日本に居られなくなって、ママのことを

とても心配して、わざわざハワイまで来てくれました。パパとstephanieのために、家にお花を買って、3人はmakaapuという現場まで行って、海の厳しさを見て、静かで、2人だけの世界で消えた悲しさの言葉が見つかりません。

そして、stephanieの学校にも、素敵な花を持っていってくれました。

stephanieの墓まで、足をのばして、全ての場所へお花を供えてくださいました。

本当にパパもstephanieも喜んでいるに違いありません。

ありがとう!

ありがとう!

※yoshidaさんは、ママとstephanieがいつも一緒にいることしか考えられないと、話してくれました。

stephanieが生まれてきた日。

  そして今。

  パパと天国へ。

 1999年4月28日にこの世に生まれて、とても可愛い女の子でした。

ママの人生の中で、最後の子と思って10年以上も仕事してきた会社を辞め、stephanieと一緒に生活することを決めた。

どこも預けないで、パパとママの手で育てていました。

ピアノやバレエを習わせて、幼稚園から日本人学校のもみじ組に入園しました。

月曜から金曜まで、現地校で、土曜日が朝8時半から14時半まで、日本語学校に通いました。

毎日、現地校の宿題と日本語学校の宿題をママと同じデスクで一緒に勉強してきました。

  ワイプナの温水プールが大好きで、週に3~4回泳ぎました。テニスやゴルフの打ちっぱなし、夕食の後、毎日のように、ワイキキという素晴らしい街を楽しく歩いていました。

にぎやかなワイキキ、いつも歩いても飽きないこの街は、私達にとってとても大好きなところでした。

アイスクリームを食べるのもひとつの楽しみでもありました。

  二人で手を腰にまわして、仲良く歩いたこの街、日本の歌を歌いながら、二人で歩いたこの街。

笑いながら、色々お話しをしたこの街。

夢でもいいから、もう一度stephanieちゃんと歩きたいのよ・・・・・ママ。

 あんなに幸せいっぱいの二人。

 誰にも負けない二人の愛。

 楽しかったこの街。

 ひとりで歩きたくないこの街。

 誰よりもstephanieと歩きたいこの街。

 明かりが消えていくこの街。

 悲しくて何も見えない。

 あなたが欲しいよ。

 あなたが欲しいよ。